2013年2月17日日曜日

過食嘔吐の日々

18歳で家を出て、21歳の時に父が他界、その後過食嘔吐が始まったのは22歳だったと思う。誰もがダイエットに夢中だったあの頃、どこかで華奢なモデルが「食べても吐けば大丈夫」と言っていたのを実行してみただけの、小さな始まりだった。

それはあっという間に自分ではコントロールできない奇妙なものに変わっていった。食べて吐くというよりは、吐くために食べる、そんな行為が日課となり、25歳で結婚した相手はそんな日課など知る由も無いまま28歳で離婚する事となった。

自分は狂ってしまった、と思っていた。普通にご飯が食べられない、今日こそは吐かない、とどれだけ誓っても、胃に少しでもものが入るとまるでスイッチが入ったかのように、動けなくなるほどに胃を一杯にしなければ終わる事がなく、そしてトイレに駆け込む。そんな卑怯な手を使って痩せて行く自分。
何年か前の多少太っていても、普通にご飯を食べ、ケラケラ笑っていた自分にはもう二度と戻れないのかもしれない、そんな恐怖と自己嫌悪の闇の中での何年間。

まだインターネットもない時代、何で目にしたのか記憶が定かではないけれど、自分のしている行為に「過食症」という名前がある事、そしてそれは「病気」だと言う事、アメリカには過食症専門の医者がいる、という事実。25歳で行った新婚旅行先のニューヨーク、どうしてもここに住みたい、住むに違いない、と後ろ髪を引かれる思いで帰国し、離婚に至ろうとしていたその頃。「アメリカに行けば、こんな自分を終わる事が出来るかも
しれない」と一筋の光を想像したのは、なんとなく覚えている。

離婚をし、弟に頭を抱える母をあとに、夢と希望だけを詰めて私はニューヨークへ旅立っ
た。何もかもが新鮮だった。全てがスタート地点だった中、あっけないほどに過食嘔吐は何の変化もなく私の生活の一部のままだった。

ある人との出会い。彼女にであった事で私の人生は変わっていった、と言っても過言ではない憧れのその人に、生まれて初めて、それもとても自然に自分の過食症を打ち明けると、「I have the same problem,I know great one. I 'm gonna introduse you」との意外な成り行きになぜか少しホッとしたのを覚えている。

彼女が紹介してくれた過食症専門のカウンセラー、30分で$200は当時の私には痛過ぎたが、そのカウンセラーに会ってから症状が良くなった彼女の話を聞いていただけに、藁をもつかむ気持ちで通っていた。やっぱりダメだ、と思ったのは、幼少時代の事を話していると、苦しく、悲しくなるのだが、その詳細をうまく伝えられるだけの英語力が当時の自分にはなかった。一番肝心な事を伝えられなくてはカウンセリングの意味はなく、やがて私の足は重くなり、カウンセリングが意味のある事とも思えなくなってしまっていた。

一方私のニューヨーク生活は一見華やいで見えた。この彼女を中心に素晴らしい友人に囲まれ、大好きだったニューヨークで、ニューヨーカーと集う毎日は充実していた。過食嘔吐が一向に変化がないどころか、以前よりもその食べる量、頻度、が多くなっていても、その一見華やいだ日々が帳消しにするかのように、日々は過ぎて行った。

渡米7年目、現在の夫に出会う。もう一度結婚する事があるとすれば「グリーンカード結
婚」しか考えられなかった当時、まして日本人との再婚は「ない」と言い切っていた。同
棲が始まり心を完全に許した頃に、自分の中に変化を感じた。「この人の前では本当の自
分でいたい」と思ったのかもしれない。自分で過食嘔吐がやめられるかもしれない、と何
となく思った。そして私の想像は当たった。

あれ程コントロール外だった過食嘔吐は嘘のように姿を消し、その代わりに体重が増えた。でもそれを幸せに感じた。太っても平気な自分を喜んでいた。「ああ、やっと普通の
人になれた」父が亡くなり、過食嘔吐が始まって既に13年が経っていた。

ニューヨークに行ってから、何年も体を動かさない日がなかった自分がある事がキッカケ
でジムにもダンススタジオにも行かなくなって数ヶ月、過食嘔吐がなくなった同時期だっ
た。今思えばワークアウトホーリックでもあったような私がそんな状況の中姿形が変わっ
た行くのは容易だったと思う。

 ある日彼(今の夫)が私の横っ腹をつかんで笑いながら言った。「すげー、横綱入ってき
た!!」そしてその晩から、また私の過食嘔吐が始まった。

その時はわからなかったけど、なぜそんな冗談一言で、やっと手を切れた過食嘔吐を始めてしまったのか。なんてセンシティブなんだ、と自分が嫌になったけど。

それ以前に、夫と出会って過食嘔吐がなくなった事がどれ程意味のある事 、かも理解していなかった。今思えば、どれ程彼を信頼し、安心し、自分をさらけ出していたのか。太っていても、痩せていても関係ない。この人はこのままの私を必要としてくれてる、そんな風にきっと思っていた。だから夫のあの一言は私を絶望させたのかもしれない。


何年も後に夫にそんな事実があった事を話すと、あれは冗談だよ、そんな事で...????と奇妙な顔をされたが、あれはなんだかずっと奥に隠していた何かを引きずり出されたような、そんな妙な感覚だった。

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