2013年9月10日火曜日

自己破壊的行為

警察官に、検察官に、何度聞かれたであろう「おまえ、反省しているのか?」
正直な私は初め「よくわからない」と答え、チンピラの様な刑事を激怒させた事がある。

実刑になった裁判の控訴審を担当した銀座に事務所を構える木O弁護士は、「貴様、反省してねーだろー!」と机を蹴っ飛ばした。控訴審に向けて彼が作った資料には「この被告人は反省していないから同じ事を繰り返す、釘1本盗んで、どれだけの人がどれだけ困るのか私が教えてやりました」と
書かれていた。

この弁護士の話はまた後々して行くが、彼に「反省」を強要されていた同時期に私は斎藤医師の治療を受けていた。「反省してないと弁護士に怒られています」と話すと彼は笑って「あなたたちが盗むのは自己破壊のための行為だからねー、反省なんかするわけないでしょ、悪い事してるって思って盗んでるの?」と聞かれた。

「人のものは盗んではいけません」と子供でも知っている事だから、悪い事だとはわかっているけど、どちらかというと「悪い事だからやっている」、そんな感覚が近かった。

沢山の依存症患者を診て来た斎藤医師は、毒舌でも有名な医師だったが、時々遠くを見て「あなた達のおかしな行為は死なないためにあるんだから、いいんじゃないですか治らなくても。」というような類いの事をおっしゃっていた。

いつの日か、自分を愛せなくなり自己破壊行為に走る。摂食障害も窃盗も一番簡単に出来る依存症だから(私にとっては。アルコールはそれほど接点がなかったし、ギャンブルも興味なく、セックス依存には相手が必要だったり....) 今思えば、奇妙でやっかいな病だけれど、ごく普通の成り行きだった様な気もする。

では自己破壊的行為をやめるには何が効果的なのか。私が知らぬ間に斎藤医師からかけられた魔法は
「こんな最低な私も結構好き」と本気で思える様になった事だった。ちょっと客観的に見ると、自分のして来た事は滑稽で、気の毒で、でも私頑張って来たのよ、と自分を愛おしく思えるようになった時、
それまであった自分への怒り、親への怒り、他人への、夫への、全ての怒りが段々と消えて行ったかのような、「あー、私は怒ってたんだな〜」とよくわからないけどそんな気持ちを経験した。

怒り、今も全てが消え去ったわけではないだろうけど、きっとうまくつき合える様になったのかもしれない。生きていると理不尽で腹立たしい事も沢山あって、子育て中の私は一日の殆どを怒って過ごしているけれど、それと同じくらい「こんな人生も悪くない」と人生を楽しむ事が出来る様になってきたのかもしれない。

それにはやはり共感してくれる人の存在、そんな人々に沢山出会えた事が、今の自分を導いてくれたのだと確信している。